日々感じた事を載せています。戯言なので厳しいご意見ご勘弁下さい。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
昨日いただいた、サラダ油を早速つかって走ってみた、賞味期限は切れているが、一度も使っていないバージンオイルをタンクに入れて走ってみる。
いつもと何の変わりもない、快調である。
町内のおばさんに感謝しながら、樽前までの13キロを快調に走ってきた。もつべき人は親切な隣人である。
いつもと何の変わりもない、快調である。
町内のおばさんに感謝しながら、樽前までの13キロを快調に走ってきた。もつべき人は親切な隣人である。
PR
「畠山さんですか、隣の藤原さんから聞いたのだけど、廃油を集めたいるのですか」昨日の午後私の携帯がなった。
車の保険屋さん藤原さんのお隣さんから電話であった。早速いって見ると、1,5リットルのペットボトル12本に、一回も使っていないサラダ油が入っていました。
「どうしたのこんなに」「頂いたり安売りしたときに買ったりしたもので賞味期限が過ぎたのよ」との会話。
「これなら精製しなくても使えるね」といいながら感謝の気持ちを伝えて帰ってきました。
車の保険屋さん藤原さんのお隣さんから電話であった。早速いって見ると、1,5リットルのペットボトル12本に、一回も使っていないサラダ油が入っていました。
「どうしたのこんなに」「頂いたり安売りしたときに買ったりしたもので賞味期限が過ぎたのよ」との会話。
「これなら精製しなくても使えるね」といいながら感謝の気持ちを伝えて帰ってきました。
SVFのタンクを搭載し,バイオ燃料を満タンにしたトラックに乗った私は、9日朝6時半苫小牧を出て、国道234号線を北上、栗山で裏道を通り三笠市で12号線に出て、旭川、比布、とんぼ返りで、赤平によって、栗山で車中泊、10日の早朝、栗山から苫小牧に二往復、午後3時半帰着した。この間の走行距離は700km。
北海道の春を満喫しながらの旅であった、北海道の人はみな親切であった。特に、印象に残ったのは赤平の女子高生であった、彼女と会えなかったら、夕方の農村部で、ナタネ生産組合の宮井氏に行き着くことは出来なかったと思う。
北海道の春を満喫しながらの旅であった、北海道の人はみな親切であった。特に、印象に残ったのは赤平の女子高生であった、彼女と会えなかったら、夕方の農村部で、ナタネ生産組合の宮井氏に行き着くことは出来なかったと思う。
宮井誠一さんは、全国一のナタネ作付面積をもつ滝川ナタネ生産組合長をしている農家である。
以前に何回か電話で話していたから、堅苦しい挨拶はいらなっかった。「わしはいつもいないことが多いのだが
今日はいたよ」といって迎えてくれた。
「苫小牧で菜種は育つだろうか、それをききたいためにやってきた」私は単刀直入に聞いた。「それは育つさもっともっと寒い処だって育っている」ありがたい答えであった、少し安心する。
「苫小牧にきて指導願いないだろうか」「それはだめだ、忙しくてかなわない」「それは残念だが、苫小牧から来て話を聞かせていただくというのはどうだろう」最後の切り札だった。「うんそれならいいだろう」といってくれた。
仲間たちと連れ立ってくることを約して、私は赤平を後にした。真っ黒に日焼けした顔が精悍に映っていた。何十年もの経験を持つ農家の自身と誇りにあふれた男の顔がそこにあった。
たずねた甲斐があった。
以前に何回か電話で話していたから、堅苦しい挨拶はいらなっかった。「わしはいつもいないことが多いのだが
今日はいたよ」といって迎えてくれた。
「苫小牧で菜種は育つだろうか、それをききたいためにやってきた」私は単刀直入に聞いた。「それは育つさもっともっと寒い処だって育っている」ありがたい答えであった、少し安心する。
「苫小牧にきて指導願いないだろうか」「それはだめだ、忙しくてかなわない」「それは残念だが、苫小牧から来て話を聞かせていただくというのはどうだろう」最後の切り札だった。「うんそれならいいだろう」といってくれた。
仲間たちと連れ立ってくることを約して、私は赤平を後にした。真っ黒に日焼けした顔が精悍に映っていた。何十年もの経験を持つ農家の自身と誇りにあふれた男の顔がそこにあった。
たずねた甲斐があった。
9日、私は2トントラックに乗って、旭川に行った、旭川で廃油を集めてくれている仲間の千葉さんのところへ廃油を頂に行ったのだ。
天気は最高にいい、国道12号線を北上し石狩川畔をさかのぼって新緑に覆われた旭川は素敵であった。千葉さんは、もと高校の教師で、今は障害施設の理事長をしている。仕事の合間に天ぷら廃油を集めて燃料を作っている、その余った分を頂いてくるのが目的であった。
帰りは、赤平に回って、かねてからたずねてみたいと思っていた滝川ナタネ生産組合長の宮井誠一さん宅を訪ねた。訪ねたといっても、住所だけネットで拾って、尋ねるわけだから、まったく心もとないが、行く先先に人はいる、聞いていけば何とかなると気軽な気持ちでよることにした。
滝川道の駅の売店で、まず聞いた、親切に道路地図まで書いてくれた、ありがたいことであった。
ところが、簡略すぎて、また聞くことになった、今度聞いた人は、もと長距離トッラックの運転手だったというからかなり正確で要領がよかった。目的地の赤平市住吉といっても田んぼが広がる田園地帯、川に沿って田んぼが広がるばかりであった。かなり行ってから、学校帰りの女子高生に会った。またまた親切に教えてくれた
聞いてみるとそこは私ちのとなりだという、今、親が迎えに来るからと親切この上ない。
両親が乗った車に先導されて無事宮井宅についた。暖かい空知の人々に感謝したい。
天気は最高にいい、国道12号線を北上し石狩川畔をさかのぼって新緑に覆われた旭川は素敵であった。千葉さんは、もと高校の教師で、今は障害施設の理事長をしている。仕事の合間に天ぷら廃油を集めて燃料を作っている、その余った分を頂いてくるのが目的であった。
帰りは、赤平に回って、かねてからたずねてみたいと思っていた滝川ナタネ生産組合長の宮井誠一さん宅を訪ねた。訪ねたといっても、住所だけネットで拾って、尋ねるわけだから、まったく心もとないが、行く先先に人はいる、聞いていけば何とかなると気軽な気持ちでよることにした。
滝川道の駅の売店で、まず聞いた、親切に道路地図まで書いてくれた、ありがたいことであった。
ところが、簡略すぎて、また聞くことになった、今度聞いた人は、もと長距離トッラックの運転手だったというからかなり正確で要領がよかった。目的地の赤平市住吉といっても田んぼが広がる田園地帯、川に沿って田んぼが広がるばかりであった。かなり行ってから、学校帰りの女子高生に会った。またまた親切に教えてくれた
聞いてみるとそこは私ちのとなりだという、今、親が迎えに来るからと親切この上ない。
両親が乗った車に先導されて無事宮井宅についた。暖かい空知の人々に感謝したい。